えんぴつの歴史
えんぴつはイギリス生まれ。
最初は使うたびに手が真っ黒に!
えんぴつのはじまりは1564年。エリザベス王朝時代のイギリスにまでさかのぼります。当時イギリスのボローデル山で、黒いかたまりのようなものが見つかりました。試しに、その黒いもので文字を書いてみたところ、はっきりとした文字を紙に残せることがわかったのです。
この黒いかたまりの正体こそ、えんぴつの芯(しん)の原料となる「黒鉛(こくえん)」というものでした。
当初は、細長く切った黒鉛(こくえん)そのものを手に持って書いていましたが、手が汚れて使いづらかったため、よく年の1565年ごろには、木にはさんだり、ひもでまいたりして使うようになりました。これが現在の、えんぴつのもとになります。
その後、イギリス近隣の国でも使われるようになり、ボローデル山からはどんどん黒鉛(こくえん)のかたまりがほられていきました。そうして200年ぐらいたったころ、ついに山から黒鉛(こくえん)のかたまりが消えてしまいました。全部使いきってしまったのです。
そんなとき、ナポレオンの命令でもう一度黒鉛(こくえん)のかたまりをつくろうと取り組んだ人たちがいました。フランス人のニコラス・コンテさんと、ドイツ人のカスパー・ファーバーさんです。
彼らは、他の山からとれる黒鉛(こくえん)のかけらや粉を集め、さらに細かい粉にして、それをねん土とまぜて焼き固め、えんぴつの芯(しん)をつくりました。そして、黒鉛(こくえん)とねん土のわりあいを変えることで芯(しん)のこさを変えられることも発見しました。
今でもえんぴつの芯(しん)は、この方法を基本につくられています。
- もんだい
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誰の命令がきっかけで現在のえんぴつ芯(しん)の
基本は考えられた?
- ナポレオン
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マリー
アントワ
ネット -
シェークス
ピア
上の文章をみてみると、
正解の人物名が書かれているよ!
ヒントは、「余(よ)の辞書に不可能(ふかのう)の文字はない」だよ!
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日本で最初にえんぴつを使ったのは
あの大将軍だった?
黒鉛(こくえん)を、現在の基礎となるえんぴつの芯(しん)にまで加工できるようになった頃には、軸(じく)の加工技術もますます進化。
19世紀の後半には丸い芯(しん)を、ミゾをほった軸板(じくいた)ではさみ、一度に6本のえんぴつをつくる現代の方法を、アメリカのえんぴつ会社が開発しました。より使い勝手がよくなったことで、えんぴつは世界的にますます広がっていきます。
日本で最初にえんぴつを使った人物は、徳川家康(とくがわいえやす)だといわれています。今は、久能山(くのうざん)の東照宮(とうしょうぐう)という神社に保存(ほぞん)されていますが、どこでつくられ、どのようにして家康(いえやす)の元に届いたのかはわかっていません。
ちなみに、日本でいちばん古い色えんぴつは、姫路神社(ひめじじんじゃ)にある古文書(こもんじょ)に赤えんぴつで書かれたものが残っていますが、その赤えんぴつは残っていません。
日本のえんぴつは、1873年、ウィーンで開催された万国博覧会(ばんこくはくらんかい)に、伝習生(でんしゅうせい)として派遣されていた井口直樹(いぐちなおき)さんと藤山種広(ふじやまたねひろ)さんが、えんぴつの製造技術を日本に伝えことがはじまりとされています。その後2人から教わった小池卯八郎(こいけうはちろう)さんと、独学でえんぴつづくりを学んだ河原徳右衛門(かわはらとくえもん)さんがえんぴつ製造を開始したのです。
えんぴつが日本で一般的になったのは、西洋文化を盛んに取り込んだ明治時代の「文明開化」がきっかけといわれています。
- もんだい
- えんぴつを日本で最初に使った人物はだあーれだ?
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織田信長
(おだのぶなが) -
豊臣秀吉
(とよとみ
ひでよし) -
徳川家康
(とくがわ
いえやす)
答えは3の「徳川家康(とくがわいえやす)」でした!
いちばん最初に使ったのは徳川家康(とくがわいえやす)といわれています。
また、伊達政宗(だてまさむね)の副葬品(ふくそうひん)の中からもえんぴつが発見されているよ!
上の文章をみてみると、
正解の将軍の名前が書かれているよ!
ヒントは、「天下統一」だよ!
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