トンボ鉛筆100年史 page 59/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

タイ工場の拡大期に膨らんだヒト・モノ・カネの最適化を図ることが目的だった。隆司から経営を継いだのは、第三世代の年長者だった浩平の長男、洋平だった。それは、痛みを伴う抜本的構造改革だったが、隆司会長も黙認する。大きな変化を遂げたのが、営業と物流だった。それまでの営業業務は商流と物流が一体になっていたが、これを分離したのだった。これに伴って、納品業務を担う物流管理本部を新設し、「ロジスティクスセンター」(LC)を開設する。在庫管理、納品業務、配送などをLCで一元管理した。さらに、新社長はマーケティング本部を新設し、小川晃弘を本部長に任命。選択と集中を通じて戦略商品づくりを行った。そして、選ばれた優位商品を積極的に販売するための戦略的営業体制を構築する。初の海外生産工場、タイ工場同時期、生産体制のグローバル化が計画された。1990年7月、戦後初の海外生産工場、Tombow(Thailand)Co., Ltd.を設立する。当初はボールペンとシャープペンシルの組立工場として操業を開始した。その後、1994年には修正テープのヒットに伴い、大幅増強に踏み切る。敷地面積を約4倍、床面積も2倍に拡大して、生産能力を倍増させるのだった。Tombow(Thailand)Co., Ltd.は修正テープ生産のメッカとなり、世界の修正様式を変えていく。さらなる市場競争に備える1990年、昭和初期から鉛筆製造の拠点として名を馳せ、品質管理優良工場として数々の賞を受けてきた東京・豊島の鉛筆木工工場を、新城工場に移転する計画が実行に移され、翌年完了する。経営改革の一環だった。鉛筆製造ラインを移設するという経験は、以降のトンボ鉛筆の経営選択の幅を広げることになる。このころ日本はまだ大型景気のなかにあったが、文具事務用品業界にはまもなく流通サービス分野の開放の波が押し寄せる。トンボ鉛筆はひたむきに経営改革に取り組み、そして、生産の刷新と多国籍化に着手して、市場競争の激化に備えた。それは結果的に、やがて訪れる不況と、長期デフレ経済への備えとなった。キディハンズシリーズセットペン「OUT PUT」イレーシャオブジェクトX259トンボ鉛筆100年史