トンボ鉛筆100年史 page 57/98
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トンボ鉛筆100年史
第4章組織改革と企業インフラの整備1987?20021985(昭和60)年、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議は為替レート安定化に関する「プラザ合意」を発表した。実質的には円高ドル安に誘導する内容で、その後、急激な円高が進行する。「円高不況」を懸念した政府・日銀は、低金利政策を継続的に採用するが、これが、やがて「バブル経済」(1987~1990)をもたらすことになった。バブル経済は、文具業界をも大いに潤わせた。こうしたなか、昭和が幕をおろし、平成(1989~)という新しい時代が始まった。国内マーケットの主役は戦中派から戦後派に移行し、トンボ鉛筆においても、同業者でも、戦後生まれ世代がリーダーとなっていった。1989(平成元)年から1990年代は、世界情勢が大きく揺れ動いた時期でもあった。1989年、ベルリンの壁崩壊は、東ヨーロッパ全域での民主化革命に波及する。これを受けて米国とソ連の両首脳会談(マルタ会談)が行われ、米ソ冷戦の終結が宣言された。1991年、ソ連が崩壊し、日本ではバブル経済が崩壊、失われた10年とも20年とも呼ばれる長期不況が到来した。これ以降、内需の縮小とデフレ経済が続く一方で、円高が進行し、生産拠点のグローバル化も進む。トンボ鉛筆はこうした長期不況のさなかにあって、営業改革と物流改革を断行して時代対応を図っていった。あわせて、“選択と集中”を通じて、新カテゴリーの開発に力を注ぎ、「消す」と「貼る」の分野に新たなマーケットを拓いた。57トンボ鉛筆100年史