トンボ鉛筆100年史 page 51/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

香料入り合成軸鉛筆手動鉛筆削り器「るん」そして、「MONO」ブランドは、トンボ鉛筆の「消す」事業分野の柱となり、その後、修正テープという巨大なマーケットを発掘することになる。売上高100億円を突破1975年の売上高は、前年より数パーセント減少する。景気後退による法人需要の低迷が要因であった。わずかな減少であったが、毎年2ケタに近い成長を遂げてきたトンボ鉛筆は苛立った。だが、1978年の営業報告書は、売上高が8%増の103億円と、初めて100億円を突破したことを告げる。浩平が社長に就任した1963年は年商20億円であった。15カ年にして企業規模は5倍に拡大した。決算報告書は、新シリーズ文具「AUDEE」と新学期セール「はつらつ」の売上貢献を評価していた。新学期はつらつセール年明けから3月末までの売上が1年を制するとあって、新1年生、また進級・進学に向けての商品企画には知恵が絞られた。1979年、「トンボでスタートはつらつ新入生」と題した季節キャンペーンカタログが登場する。第2次ベビーブーマー(団塊ジュニア)世代を狙って発行したものだが、これは、その後、約20年間、売上の大黒柱となった。商品カテゴリー別に紹介するカタログとは異なり、新カタログは新1年生の親の目線で編集され、子どもが喜ぶキャラクターをふんだんにあしらっている。さらに新カタログは、ディスプレイの理想形を示すものだった。メーカーが店舗づくりに情報を発信する、マーチャンダイジングのはじまりでもあった。文房具全類で「トンボ印」の商標権を獲得トンボ鉛筆は1979年、文房具全類で「トンボ印」の商標権を獲得した。じつは、それまでトンボ鉛筆の商標は「鉛筆類」に限られていた。ボールペンやシャープペンシルにこれを使用することはできず、苦肉の策を講じていたのだった。それまで権利を持っていた第三者から、トンボ鉛筆に権利を里帰りさせてくれた人物は、株式会社岩崎の岩崎英雄社長だった。岩崎社長の献身的な努力をトンボ鉛筆は永久に忘れない。新学期はつらつセールカタログ新学期はつらつセールディスプレイ51トンボ鉛筆100年史