トンボ鉛筆100年史 page 50/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第3章栄光と挫折奇跡の転換点1974?19791974[昭和49]1民放テレビ各社、深夜放送中止3大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(大店法)施行9日本初の蛍光マーカー「暗記ペン〈蛍光〉」発売―実質経済成長率が戦後初めてマイナスとなる1975[昭和50]2失業者が100万人を突破3山陽新幹線、岡山-博多間開業(東京-博多間全通)7沖縄国際海洋博覧会開催(~1976年1月)8マーキングペン「かくべえ」発売、キシレン、トルエンを使用しない安全な油性ペン12シャープ芯「ウルトラ〈金〉」発売1976[昭和51]―労働争議多発―戦後生まれが総人口の半数を突破1977[昭和52]4大手製薬会社の靴下止め「キティ」を楕円形状ピット容器で販売9手動鉛筆削り器「るん」発売王貞治が米大リーグハンク・アーロンの記録を破る通算756本塁打を記録―中綿式、金属クリップ採用の水性極細マーキングペンをドイツの大手筆記具メーカースワン・スタビロ社へOEM供給―企業倒産1万8471件、負債総額2兆9781億円を記録、トンネル不況へ―カラオケブーム大ヒット続々──〈蛍光〉マーカー、MONO消しゴム1971(昭和46)年に誕生した大ヒット商品「ピット」に続いて、1974年には、日本初の蛍光マーカー「暗記ペン〈蛍光〉」(4色セット)を発売する。蛍光インクを使用したこのマーカーは、初年度から圧倒的な売れ行きをみせ、発売から1年で1000万本を突破する大ヒット商品になった。とくに、小中学生の間で一気に広まったため、その人気ぶりに、「光るから、目に悪いのでは?」と心配の声があがるほどだった。従来の朱・藍によるアンダーラインに加えて、オーバーラインというマーキング方式が定着することになる。さらに、1969年に単独商品として発売した新開発消しゴム「MONO消しゴム」が70年代半ばごろからぐんぐんシェアを高めていく。株式会社シードの協力で追求した優れた消字力と安定した品質の新開発消しゴムは、世界に例がないといわれるまでに評価されるようになる。書き味と同じく、消し味もある。用紙の種類、芯の種類や濃度、室内環境などの変化とともに消し味も移り変わる。「MONO消しゴム」はユーザーのニーズを先取りして、新しい消し味を提案しつづける。暗記ペン〈蛍光〉1978[昭和53]3「蛍光鉛筆」発売水性サインペン「メモペン」発売(マーキングペン「プレイカラー」の前身)8日中平和友好条約調印10トータルデザインステーショナリー「AUDEE(アウディ)」シリーズ発売12 OPEC、1979年の原油価格14.5%引き上げ決定、第2次オイルショック発生へ―売上高100億円を突破―円高不況1979[昭和54]4「トンボでスタートはつらつ新入生」キャンペーン5「香料入り合成軸鉛筆」発売(日欧同時発売)6主要先進国首脳会議(東京サミット)開催11「トンボ印」商標、文房具全類での権利獲得70年代後半ごろのMONO消しゴム現在のMONO消しゴム50