トンボ鉛筆100年史 page 49/98
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トンボ鉛筆100年史
立体自動倉庫キャンペーン「トンボが住める街づくり」オイルショックの震撼トンボ鉛筆は創立60周年記念事業の一環として、1972年、環境保全賛助活動「グリーン・キャンペーン」を実施。お客様への感謝を贈った。大気汚染や水質汚濁が社会問題化していた当時、「トンボの住める街づくり」、「We Want Green」というトンボ鉛筆のメッセージは衆目を集める。スタートは多くの若者が集うTBSラジオ主催の「東京バザール」だった。4月29日、東京バザールが開催された外苑並木通り、新宿、渋谷、銀座の歩行者天国では、トンボ鉛筆の「GreenGirls」100名がデモンストレーションを行い、道行く人々に花の種を配布し、緑を取り戻す運動を呼びかけた。同時に全国規模でトンボをテーマとした童謡の歌詞募集を行ったところ、全国から1万4500通もの応募があった。最優秀作品「みどりのトンボ」は、小室等氏の作曲によりキングレコードから発売された。また、「大銀座祭」に協賛し、10月1日、“赤トンボ”の愛称を持つ複葉機に「トンボの住める街にしよう」の吹流しをつけて銀座や上野の上空を旋回。日本国内はもちろん海外各紙でも紹介された。1973年、第4次中東戦争をきっかけに、世界経済を揺るがせる第1次オイルショックに見舞われる。原油価格の高騰は、ニクソンショック(1971年)から立ち直りかけていた日本経済を直撃し、「狂乱物価」と、戦後初の「マイナス成長」を経験することになる。高度経済成長の終焉であった。原油価格とは直接関係のないトイレットペーパーや洗剤などの生活物資で、品不足への不安から買い占め騒動が起こった。文房具業界においても買い占め・買いだめによる異常な需要増があった。一方で、原油価格の高騰に起因する資材の高騰は、すさまじいコストインフレを誘発し、メーカーを苦しめた。プラスチック成型品や石油製品を多く使用する文具メーカー各社は、到底内部吸収できなくなったコスト増に嘆き、価格改定をもくろんだ。しかし、価格のエリートとされてきた文房具の値上げには保守的な考えもあって、議論百出だった。もちろん、値上げのトップを切ることに各メーカーは二の足を踏んだ。第1次オイルショックは、暗雲となって産業界を覆った。この時期を境に、少子化が進みはじめたのだった。銀座上空を旋回する“赤トンボ”(1972年10月1日朝日新聞社撮影)両面下敷き49トンボ鉛筆100年史