トンボ鉛筆100年史 page 48/98
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トンボ鉛筆100年史
第3章栄光と挫折奇跡の転換点1972?197360周年記念式典取引先代表の祝辞(左)記念観劇会パンフレット(右)1972[昭和47]2冬季オリンピック札幌大会開催連合赤軍浅間山荘事件5資本金1億5000万円に増資沖縄、日本復帰(15日)6田中角栄通産相、「日本列島改造論」発表7徳用スティックのり「ピットグレート」発売情報誌『ぴあ』創刊9日中国交回復、共同声明調印10創立60周年記念式典、明治座で挙行11荒川線のみ残し、都電5系統廃止―東京工場に立体自動倉庫を新設―定期入れ「パスメイト」発売―携帯用くし「ヤングボーイ」発売―60周年記念キャンペーン「トンボが住める街づくり」実施―地価高騰―ボーリングブーム1973[昭和48]1ベトナム戦争終結(和平協定調印)2円、変動相場制へ本格移行4トンボボールペン(株)設立10第4次中東戦争勃発、第1次オイルショック発生江崎玲於奈、ノーベル物理学賞受賞決定―速乾性インキ筆の通気孔に関する実用新案権を取得―商標「MONO」をクロスライセンスで入手―カランダッシュ社の国内販売代理店となり「マジソン」ボールペン・シャープペンシルを輸入販売―鉛筆・ボールペン両用の下敷き、硬筆筆箱を発売―狂乱物価―このころからコンビニエンスストアが次々とオープン―国際収支、総合収支134億ドル強の赤字(6年ぶりの赤字)創立60周年記念式典を挙行1972(昭和47)年、経済界は、前年夏に米国が打ち出した金とドルの交換停止、10%の輸入課徴金実施などのドル防衛策、いわゆる「ニクソンショック」に呆然と立ちすくんでいた。わが国の巨額の対米貿易黒字は、これを境に、貿易摩擦問題となっていく。この年、トンボ鉛筆は創立60周年を迎える。不透明感の強い経済環境であったが、浩平社長は強い意志で55周年式典をはるかに上回る記念行事を企画した。5月、記念増資を行って、資本金を1億5000万円とした。また、東京工場に新規設備投資を行い、コンピュータ制御の自動倉庫が完成した。これは幅43メートル、奥行き16.65メートル、高さ16.82メートルという巨大な完成品倉庫で、オートメーションで出庫できる近代設備である。10月、創立60周年記念観劇会の美空ひばりショーを東京・日本橋浜町の明治座で開催。お世話になっている流通・同業・協力企業各位を来賓として上座に招待し、全国34の支店・支社、本社工場、新城工場などから全従業員が参集、総勢800人の規模になった。社長は、「トンボ鉛筆を世界に通用する企業へ」と挨拶し、多くの来賓から祝辞をいただいた。ピットグレート48