トンボ鉛筆100年史 page 45/98
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トンボ鉛筆100年史
全国モノ会連合会設立総会(左)55周年記念式典で挨拶する小川浩平社長(右)ニ」が発売となり、その翌年、「MONO100」は満を持しての登場となった。また、「MONO100」は「MONO」同様、消しゴムできれいに消える特徴があり、1ダースに1個、「MONO消しゴム」をサービスとして添えていた。天然ゴム製ではなく、新開発のプラスチック製の「MONO消しゴム」はよく消えると評判が高まり、1969年、単独の製品として発売するに至る。創立55周年記念トンボ鉛筆が創立55周年を迎える1967年、各種の記念行事が行われた。小川春之助商店が開業した2月11日の創立記念日には、全従業員向けに、新橋演舞場を借り切っての「創立55周年記念観劇の会」を催行した。9月13日には、「MONO100」の発表に先立ち、ホテルニューオータニにて、「全国モノ会連合会」の設立総会を開催する。これは、1957年に全国の小売店が参加して発足した「HOMO会」を「MONO会」に改め、全国統一組織としたもの。販売網のいっそうの充実・増強に努めるためだった。このころから1970年代半ばにかけて、毎年のように営業店を開設し、その頂点となる1974年には39支店に達している。また、翌日、同ホテルにて、多くの著名人、業界関係者を招待しての創立55周年記念式典を行った。「ボールペン不良問題」と本社移転創立55周年を祝った当時、ボールペン「クラウントンボ」は業界第3位のシェアを誇り、鉛筆に次ぐ第二の主力商品と嘱望されていた。その年、1本のボールペンがトンボ鉛筆の信用を揺るがせた。「ボールペン不良問題」である。このころ、ボールペンは新城工場で製造していたが、先端ボールは外部調達だった。そこへ、大阪の同業者を介して代替ボールの提案があり、これを採用してしまった。この先端ボールが錆びて、筆記不良を起こしてしまったのだ。本社営業部に矢のようなクレームの電話が入った。トンボ鉛筆は、直後に対策チームを立ち上げ、製品回収を徹底し、ユーザーと流通へ誠心誠意の対応を行う一方、原因究明にあたったが、この問題によって、日本橋人形町1丁目の本店閉鎖を余儀なくされ、東京工場に本店機能を統合することになったのだった。細書きサインペン「油性F-1」ビニールカラー45トンボ鉛筆100年史