トンボ鉛筆100年史 page 43/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第3章栄光と挫折奇跡の転換点1967?19861967(昭和42)年、「いざなぎ景気」が続くなか、トンボ鉛筆は創立55周年を迎えた。経済企画庁(現内閣府)は、1968年の国民総生産(GNP)が米国に次ぐ世界第2位になったと発表、終戦直後から続いた日本の経済成長は、「東洋の奇跡」と称されるまでになった。1960年代の高度経済成長は日本を豊かにしたが、そのひずみとして、環境破壊や公害病、ゴミ問題、交通戦争などが深刻化していた。日本社会は転換を迫られていたのだ。1968年、トンボ鉛筆もまた、転換を迫られた。きっかけは、ボールペンで製品不良を出したことだった。トンボ鉛筆は、直後に対策チームを立ち上げ、製品回収を徹底し、ユーザーと流通へ誠心誠意の対応を行う。そして、「最高の質トンボ鉛筆」との原点を見つめ直し、新しい商品開発に邁進。文具メーカーとしての信用回復を期して奮起し、起死回生の新商品を生み出した。ここから、事業領域は「書く」から「貼る」へと飛躍的に拡大していくのだった。1970年代に入ると、世界経済にも急激な変化が訪れる。1971年、米国のニクソン大統領は、金ドル交換停止を盛り込んだ新経済政策を発表し、国際社会に大きな影響を与えた。「ニクソンショック」とも「ドルショック」とも呼ばれるが、以降、主要国は固定為替相場制から変動為替相場制へと移行する。また1973年には、第4次中東戦争をきっかけに原油価格が高騰し、第1次オイルショックが発生する。消費の低迷や大型公共事業の凍結・縮小などにより、翌年、日本は戦後初めてのマイナス成長を経験する。これをもって、高度経済成長は終わりを告げた。その後、日本経済は安定成長期を迎える。1979年、イラン革命により、第2次オイルショックが起こるが、日本経済への影響は第1次オイルショックほど深刻なものではなかった。しかし、高度経済成長の終焉は、第2次ベビーブームをも終わらせ、1980年代以降、日本は少子化の道をたどることとなる。少子化に歩を合わせるように、鉛筆の生産量は減少に転じていくのだった。トンボ鉛筆は、事業領域を大きく広げ、ステーショナリー・メーカーとして飛躍する。グローバル化への第一歩を踏み出していく。43トンボ鉛筆100年史