トンボ鉛筆100年史 page 38/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第2章戦後復興と事業多角化1963?1966MONO1963[昭和38]4愛知県新城市に新城工場開設、ボールペンの社内生産開始小川八郎急逝小川浩平社長就任6(株)小川工業を小川化工(株)に社名変更7資本取引の自由化実施8最高級鉛筆「MONO」発売、1本60円(のち、50円に改定)11ケネディ米国大統領、テキサス州ダラスで暗殺12教科書無償措置法公布、義務教育教科書が無償配布に―吸盤スタンドつき卓上ボールペン「BQ-200A」発売―万年筆型ノック式ボールペン「BC-50D」発売、ミリオンセラーになる1964[昭和39]3新城工場がボールペンJIS認定工場となる4海外旅行の自由化スタート5小川とわ会長死去6社名を(株)トンボ鉛筆製作所から(株)トンボ鉛筆に変更資本金1億円に増資9名神高速道路一部開通10東海道新幹線開通夏季オリンピック東京大会開催―細書きサインペン「30-SP」発売、欧米への輸出が中心―オートマティックローラー式(自動くわえ込み式)鉛筆削り器「SR1500」発売1965[昭和40]10朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞決定11戦後初の赤字国債発行―スライドノック式2色ボールペン「BC-100D」発売、ベストセラーになる―販売網の強化拡大のため、営業所出店を加速―オートマティックローラー式鉛筆削り器「SR1300」発売―企業倒産過去最高を記録―いざなぎ景気(~1970)「MONO」発売1963(昭和38)年8月、最高級鉛筆「MONO」を発売する。硬度は「HOMO」と同様、9Hから6Bまで17硬度がそろい、1本60円、1ダース720円という価格だった。高級鉛筆路線を拓いたのは「HOMO」(1952年発売)だが、そのネーミングは予期せぬ壁にぶつかった。発売後しばらくして、欧米から「ホモセクシャル」という言葉が伝わった。そのため、新製品から東京大学の赤松教授の命名で「MONO」と改めたのである。「MONO」はギリシャ語の[MONOS]に由来し、「唯一の、無類の」という意味を持つ。文字どおり、「MONO」は比類ない優れた鉛筆であった。技術的な革新性は「1ミリ立方に80億個の粒子を持つ」というキャッチフレーズに象徴される。芯を科学することで良質を求め続ける企業姿勢を貫いた八郎にとって、「MONO」はその集大成であった。小川八郎社長の急逝「MONO」の発売より4カ月前の1963年4月3日、八郎がすい臓がんにより他界する。45歳の若さだった。創立50周年とい1966[昭和41]3法務省住民登録集計による日本の総人口、1億人を突破6ビートルズ来日、日本武道館で公演―鉛筆削り器「SR1300」、グッドデザイン賞受賞―高級鉛筆「ハイゴールド8900」発売―AS樹脂透明軸で尾部L型ノックのボールペン「BC-50L」発売ボールペン「BC-50D」サインペン「30-SP」38