トンボ鉛筆100年史 page 37/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

新城工場の新設始まる(左)通商産業大臣賞受賞式(右)ん中に位置し、物流の要となる立地であったことと、市が誘致に熱心だったことが大きい。当時の小野田辰雄市長には、市の発展のため、トンボ鉛筆の知名度もさることながら、平和・文化・教育のイメージを高めたいとの強い思いがあった。1961年に新城市と用地買収の契約を結び、1963年、「トンボ鉛筆新城工場」の看板が掲げられる。新城市誘致工場第1号となった新城工場は、ボールペン専門工場として生産を開始し、順次、設備を増強していった。なお、新城工場の新設に伴って、王子工場=TOSHIMA FACTORYを「東京工場」と呼ぶようになっていった。アートディレクターのいる会社鉛筆からボールペン、シャープペンシル、マーキングペンと製品が拡大していくなか、「トンボらしさ」の統一が焦眉の急となっていた。八郎は“企業の顔の統一”を図るため、デザイン界の重鎮、河野鷹思氏をアートディレクターとして招聘する。デザイナーはもちろん、ブランドやコーポレートアイデンティティといった用語が一般的ではなかった時代である。筆記具メーカーとして、また消費財メーカーとしても稀有な試みだった。河野氏を招き、月例の「デザイン会議」を行うようになったのは1957年初夏からで、ロゴタイプ使用のルールづくりから始まっている。また、河野氏は英文字「Tombow」をコーポレートシンボルとしてデザインし、1958年からパッケージデザインに導入。これは1995(平成7)年までトンボ鉛筆の“顔”となった。業界初、「通商産業大臣賞」受賞「東京工場」は、1951年、鉛筆業界のトップを切って鉛筆JIS認定工場となって以来、良質な鉛筆づくりを続けてきた。また八郎は、東京鉛筆工業協同組合に協力してJIS規格のレベルアップや運用の拡大に努めてきた。このような業界思いの努力、実績が認められ、1962年10月、「東京工場」は品質管理優良工場として、通商産業大臣賞を受賞する。トンボ鉛筆は、1955年に工業技術院長賞を受賞しているが、通商産業大臣賞はこのうえない最高の栄誉となった。鉛筆業界では初めての快挙を祝し、受賞報告を兼ねたパーティをホテル・ニュージャパンで開催した。第1号ボールペン「クラウントンボ」平型芯ホルダークラウントンボ(2代目)水性マーキングペン「ドライW」37トンボ鉛筆100年史