トンボ鉛筆100年史 page 31/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

業理念を、再度、高々と掲げたのである。これを受け、八郎は芯改良プロジェクト「鉛筆の芯を科学する」と題した産学協同の取り組みに着手する。1949年、八郎は東京大学理学部に分析化学の権威、木村健二郎教授を訪ねる。木村教授の尽力により、有機半導体の研究が専門の赤松秀雄助教授(のち東京大学教授)と、窯業研究の第一人者、永井彰一郎教授を研究室に招聘する。赤松助教授は、同じ研究室の高橋浩助手(のち東京大学教授、「炭素と粘土に関する研究」に生涯を捧げた)を伴って参加し、技術研究の中心となった。なお、赤松氏の回想によると、この研究はとりわけ高橋氏の知識と能力が存分に活かされる分野であって、この後に積み重ねられていく氏の重要な業績のいしずえとなったという(赤松秀雄『文集視点』1986年)。いわば、産業協同の理想郷であった。国立大学の教授が民間企業の研究を受託する産学協同には、「業界、ひいては国のため」という大義が求められた。王子工場発の研究成果は学会で発表され、多くのライバル社がこれを参照し、日本の鉛筆の芯の品質が世界で比類ないものに発展していくきっかけとなった。一方、教授らの研究所見を読んだ八郎は、生産設備の近代化の要を痛感し、ただちに渡米を決意する。1950年に渡米し、石臼に代わる「スピードライン・ミル」や「製軸機」「溝付け機」「全自動鉛筆ゴム付け機」など、近代生産設備の導入を決める。優良品の生産力向上と経営の合理化をめざしてのことだった。八郎の進取の精神により、わが国鉛筆生産技術は世界標準へと進化する。鉛筆JIS認定工場となる1951年10月、王子工場=TOSHIMA FACTORYは、工業標準化法の規定に基づく「鉛筆(黒芯)JIS Z 6605」の認定工場になった。日本が工業標準化法を制定し、JISマーク表示制度をスタートさせたのは1949年。鉛筆規格の制定は1951年のことだった。鉛筆規格の制定に際して、「鉛筆の芯を科学する」プロジェクトにおける、木村健二郎教授による「鉛筆の芯に関する化学的研究」(1949)、赤松秀雄教授による「鉛筆の改良に関する試験研究報告」(1949)などの研究成果が、大いに役立てられたことはいうまでもない。身近な商品である鉛筆にJISマークが刻印されることで、JIS規格の認知度は飛躍的に高まった。現在も、日本規格協会のハンドブックの「鉛筆及び色鉛筆」には、「鉛筆は、JISマーク表示(承認)の品目に指定され、JISマーク商品の一般への普及に対して非常に大きな貢献をした」とある。ゴムつき鉛筆482(1928年ごろ発売)ヘクト鉛筆31トンボ鉛筆100年史