トンボ鉛筆100年史 page 30/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第2章戦後復興と事業多角化1948?1951皇太子殿下の工場見学(左)復興した柳橋本店(中)トンボ講堂(右)1948[昭和23]2文部省が義務教育漢字を発表(881字)3義宮殿下、工場見学4新制高校発足9皇太子殿下、工場見学「8900」、現在のオリーブグリーンの軸色・黄色のダース箱で発売、1本80銭朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)成立10第2期工場復旧工事完了―実業団野球チーム結成―鉛材輸入、再開1949[昭和24]2文部省が教科書検定基準を制定3財政金融引き締め政策(ドッジライン)実施6工業標準化法公布(日本工業規格JISを制定)7小川作太郎死去10孝宮殿下、順宮殿下、清宮殿下、工場見学11湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞、日本人初プロ野球パシフィック・リーグ結成12プロ野球セントラル・リーグ結成―デフレ(ドッジ不況)1950[昭和25]1「満年齢」制度施行聖徳太子像の千円札発行6小川八郎、先進設備導入のため渡米(6日)朝鮮戦争勃発、特需景気起こる7「日本綴方の会」発足(1951年9月「日本作文の会」に改称)第3期工場復旧工事完了、トンボ講堂完成(8日)9小学校のパン給食が都市部でスタート(1952年4月全国に拡大)10文部省が学校の祝日行事での国旗掲揚と国歌斉唱を通達資本金1000万円に増資12「岩波少年文庫」刊行スタート―柳橋本店、再建―ゴムつき高級鉛筆「482」の普及版「2558」発売(2分の1の価格)、爆発的売れ行き皇太子殿下の工場見学と柳橋本店の再建王子工場の施設が一応の完成をみた1948(昭和23)年から翌年にかけて、昭和天皇のお子様たちが三度にわたってご来訪されている。1948年3月に義宮殿下を、9月には皇太子殿下(今上天皇)をお迎えし、翌年10月に孝宮殿下、順宮殿下、清宮殿下の内親王がご見学された。学習院初等科が社会科の実習として「鉛筆をつくる工場」を見ることになったとき、戦争の打撃からいち早く立ち直った王子工場が選ばれたのだった。以降、同校では社会科の見学コースに当社の王子工場を組み込むのが慣例となった。また、1950年には、柳橋の本店が再建されている。木造モルタル壁、瓦屋根の2階建ての建物となった。産学協同──東大教授を迎えて「鉛筆の芯を科学する」終戦から数年を経て、鉛筆業界においても多くの同業者が復旧し、品質を競い合う時代が到来する。折しも、社内では芯の「ブツ折れ」が問題となっていた。事業の再建を急ぐあまり、品質をおろそかにしてはならないと、春之助は「最高の質トンボ鉛筆」という昭和初期に掲げた事1951[昭和26]1第1回紅白歌合戦開催4新500円札発行5小川春之助、緑綬褒章受章7改正商法施行9初の民間ラジオ局が開局サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印10王子工場、鉛筆(黒芯)JIS認定工場となる―このころ「ヘクト鉛筆」発売、1本50円戦後も販売された800030