トンボ鉛筆100年史 page 20/98

トンボ鉛筆100年史

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トンボ鉛筆100年史

第1章創立・草創期1939?1945トンボ鉛筆産業報国会(左)八郎出征の日(1938年・右)1939[昭和14]7国民徴用令施行9第二次世界大戦始まる(イギリス、フランス対ドイツ宣戦布告)10価格等統制令公布・施行(9月18日の水準に価格等を釘付けするストップ令発令)12小川春之助商店を法人化、営業部門をトンボ鉛筆商事(株)、製造部門を(株)トンボ鉛筆製作所とする初代社長、小川春之助(両社とも)―鉄兜字消製造(株)設立―「鉄兜字消し」発売のちにゴム不足のためゴムを使用せず油脂により製造1940[昭和15]9日独伊三国同盟調印11大日本産業報国会創立―鉛筆の公定価格が決まる―鉛筆の輸入、ゼロに1941[昭和16]4国民学校発足12日本軍、ハワイ真珠湾攻撃(太平洋戦争勃発)―準軍需工場に指定(製品の3分の2を軍関係に納入)―鉛材輸入、途絶1942[昭和17]5企業整備令公布・施行―トンボ鉛筆・真崎大和鉛筆・日本鉛筆の3社で朝鮮・大田市に鉛筆工場建設株式会社トンボ鉛筆製作所&トンボ鉛筆商事株式会社が誕生1939(昭和14)年、小川春之助商店は法人化し、株式会社となる。社名は、これまでトレードマークとして利用していた「トンボ」を採用し、製造部門を「株式会社トンボ鉛筆製作所」、営業部門を「トンボ鉛筆商事株式会社」として2社を設立。春之助が両社の初代社長に就任し、作太郎は会長、春之助の長男、八郎(1917~1963)が専務となる。そのころ、わが国は、1938年に国家総動員法が公布されるなど、戦時体制下であった。1939年には価格等統制令の施行があり、翌年、鉛筆の公定価格が決まる。独立独歩の鉛筆業界にも国の方針が深くかかわりを持つようになっていった。戦争と鉛筆1941年、わが国は太平洋戦争に突入し、トンボ鉛筆製作所は準軍需工場の指定工場となる。製品の3分の2は軍関係に納入することとなった。鉛筆は、戦地に赴いている兵士への慰問品として、また、占1943[昭和18]2創立30周年記念式典―マレーシア・クアラルンプールに進出、現地で鉛筆製造開始―アルファベットの使用が禁止になり、鉛筆硬度を漢字で刻印(HBは「中庸」に)1944[昭和19]―アメリカ人のM.レイノルズ、ボールペンを初めて商品化1945[昭和20]3東京大空襲本社、爆撃により焼失4工場、爆撃により焼失7月産3000グロス(43万2000本)生産の工場を再建8終戦(15日)鉄兜字消しと鉄兜字消し広告20