トンボ鉛筆100年史 page 17/98
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トンボ鉛筆100年史
芯工場上棟式当日右端が春之助相談し、複数のサンプルを取り寄せて検討した結果、ドイツのスワン社製の芯を調達することを決める。そして、5万グロス(720万本)もの墨芯を発注したのである。スワン芯の一部は竣工したばかりの芯工場に送られ、残りは作太郎の工場に搬送された。春之助と作太郎は、スワン芯の分析など研究を重ね、「スワン芯に追いつけ、追い越せ」を目標に、一から芯づくりを見直した。国内最上の芯をつくる工場、それが、TOSHIMA FACTORYの使命でもあった。「トンボ印」がハウスマークに新工場建設に着手する一方、春之助は、これまでトレードマークとしていた「H.O.P.」に代わる力強いシンボルマークの創設に取り組む。候補は三つあった。一つは明治20年代に東京・上野で開催された内国勧業博覧会で、国産として評判を呼んだ杉江鉦三郎の鉛筆に刻印された「トンボ印」。一つは自社工場を整備したことをシンボライズした「ノコギリ屋根の工場印」。そして、橋を架ける「ブリッジ」である。春之助たちは「トンボ印」を選んだ。小川春之助商店でともに働く杉江鉦三郎の子、政明もこれを歓迎した。わが国の鉛筆産業の発展に尽力した杉江鉦三郎のトンボがよみがえるのだった。それは明治期に開催された内国勧業博覧会の会場で「国産の旗」となったシンボルマークである。図案は「やんま」を象った。同時に、英字のロゴタイプ「TOMBOW」も考案し、トンボ印とともに、1927年、商標登録している。14硬度の最高級鉛筆が完成──鉛筆の品種が一気に拡大1928年、6Hから6Bまで14硬度をそろえて発売した最高級製図用鉛筆「TOMBOW DRAWING PENCILS」は大きな反響を呼んだ。当時、国産鉛筆は1本8銭が最高だったが、これを上回る1本10銭、ダースで1円20銭という最も高価な鉛筆となったのである。「最高の質トンボ鉛筆」というキャッチフレーズはこのとき生まれている。また、鉛筆に多様な芯硬度があることを知る人が少なかったこの時代に、ダース缶の中に使用説明カードを入れ、商品知識の普及に努めたことは評判となった。鉛筆の深い表現力が、日本文化と調和して定着したのは春之助ら先人の啓蒙活動が実を結んだものである。「TOMBOW DRAWING PENCILS」以降、鉛筆の品種は一気に拡大する。芯工場捺印機17トンボ鉛筆100年史