トンボ鉛筆100年史 page 14/98
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概要:
トンボ鉛筆100年史
第1章創立・草創期1923?19251923[大正12]2東洋一のオフィスビル「丸の内ビルヂング」完成9関東大震災発生、本店焼失(1日)本郷の工場で商いを再開(11日)生活必需品を中心に物価高騰10柳橋の本店再建を開始12本店完成1924[大正13]1摂政裕仁親王(昭和天皇)ご成婚7メートル法施行8甲子園球場オープン10荒川放水路・岩淵水門完成―製造部門の強化に着手―関東大震災復興記念鉛筆「New Tokyo」発売―年間輸入超過額が過去最高に1925[大正14]1大日本雄辯會講談社、『キング』創刊、売上77万部3東京放送局、試験放送を開始普通選挙法成立(衆議院議員選挙法改正)、25歳以上男子に選挙権を付与治安維持法成立4メートル法採用の「算術書」尋常小学校1~2学年用使用開始7東京放送局、ラジオ本放送を開始11東京環状線(山手線)全線開通―小川作太郎、鉛筆の一貫生産工場建設用地を調査関東大震災──罹災を免れた鉛筆工場1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生する。神奈川県相模湾北西沖を震源としたマグニチュード7.9の地震は、東京、神奈川、千葉、静岡の広い範囲で、被災者約190万人、死亡・行方不明者約10万5000人という、日本災害史上最大級の被害を引き起こした。小川春之助商店も焼失したが、従業員、家族ともに無事で、父、作太郎の鉛筆工場が罹災を免れたことは、不幸中の幸いであった。しかし、大震災によって、東京の中央問屋としての流通機能はマヒし、各地の小売店への製品供給は完全に断たれた。作太郎の鉛筆工場(旧駒込坂下町)には、問屋や小売店が全国から押し寄せた。小川春之助商店は現金売りを唯一の条件として、工場の在庫品を、物価高騰にもかかわらず元のままの値段で販売している。一方、大阪と名古屋の問屋組合は義援金を取りまとめるなど、援助の手をさしのべた。そののち、関西の製品が東京と、東京以北に大量に流通するようになり、品不足を救った。大正期に製造されたGOLFGOLF14