トンボ鉛筆100年史 page 12/98
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概要:
トンボ鉛筆100年史
第1章創立・草創期1916?19221916[大正5]―鉛筆「快漢ロロー」発売―「ゴルフ型セット」「CABINET」「METROPOLIS」「クリスマス用鉛筆セット」発売1917[大正6]―大阪の大問屋・福井商店(現ライオン事務器)との取引を開始、その後、メーカー会「興福会」加入1918[大正7]1大八車30台による初荷開始パイロット萬年筆発売8富山県で米騒動、各地に波及11第一次世界大戦終わる―スペイン風邪大流行1919[大正8]6ベルサイユ条約調印(日本、赤道以北南洋諸島を統治)―このころセルロイド人形を取り付けた人形つき鉛筆「Funny Face」発売―戦争特需がなくなり、鉛筆工場や輸出向け問屋の倒産相次ぐ1920[大正9]1国際連盟成立3東京、大阪で株価暴落(戦後恐慌)10第1回国勢調査(内地人口5596万人)―三軒長屋全軒を買い取り、本店の広さ3倍に―鉛筆工場数、20~30に―「H.O.Pencil」改め、「H.O.P.」とする―「H.O.P.」を図案化、商標登録新しい文化に敏感な人たちに歓迎された「H.O.Pencil」1916(大正5)年、「ゴルフ型セット」「CABINET(キャビネット)」「METROPOLIS(メトロポリス)」「クリスマス用鉛筆セット」などの銘柄鉛筆を相次いで発売する。なかでも「ゴルフ型セット」は、キャディーバッグになぞらえた円筒ケースの中にクラブ・パター型の鉛筆を入れたセット品で、その趣向によって話題を集めた。折しも上流階級の遊びとして、ゴルフが紹介されはじめたころでもある。これを発展させて、ひとそろいの文房具を筆箱や靴下の形の袋にパッケージしたのが「クリスマス用鉛筆セット」だった。これらは流行やファッションに敏感な人たちに歓迎され、百貨店や銀座・伊東屋で飛ぶように売れた。次々にヒット商品を送り出す「H.O.Pencil」ブランドの名は高まっていった。大問屋・福井商店との取引開始──関西へ商圏を拡大1916年の暮れ、小川春之助商店は、取引先が増えてきたこともあり、いっそうの宣伝効果を期待して、色刷りの年賀状を多くの文具関係者に発送している。その熱意が縁となり、当時、国内最大手の文具問屋「福井商1921[大正10]4度量衡法改正公布、メートル法が基本に(1924年7月施行)―福井商店銘柄の「コッピー鉛筆」を受注生産、細軸1本7銭CABINET 1801922[大正11]12文部省、小学校教育費の整理・節約の訓令発出―博覧会、見本市に鉛筆「Souvenir of Tokyo(スーベニア・オブ・トーキョー:東京みやげ)」などを出展(好評ながら、不況のなか受注拡大には至らず)―鉛筆「REPORTER」発売年賀状創立当初春之助は「春之輔」の字を使用していた12